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青い花  Report

Gaonの“青い花”美術館
report
2007/11/14 水彩画-シヒテン2
 

2007/11/14  水彩画-シヒテン 2

 

テーマ…シヒテン(層技法)で描く「一日の雰囲気~流れ」

 

 

                                

 

前回のreportで、「私はこの“シヒテン”という技法が大好きで、これまでも何枚も描いてきた。・・・なぜ好きなのかというと、一つには描いている間の心地良さがあるということ。もう一つは作品としてみた場合にも薄絹を重ねたような繊細で美しい表現が可能だということ。」・・・というようなことを書いた。

 

そのことについて改めて考えてみたのだが、たぶん水彩絵の具という素材そのものが、自分の性分に合っているのだと思う。

 

学生時代は芸術学部の美術学科に籍をおいていた私だが、最終的に油絵の具の質感になじめなかったような気がする(・・・そういえば食べ物も油っこいものが苦手だ、関係ない?)。

 

もちろん、洋の東西を問わず、油絵の具で描かれた素晴らしい絵画作品があるように、もっと努力して描きこんでいけばそれなりの表現方法も見出せるはずだったと思うのだが、厚塗りが嫌だからといくら溶き油の量を多くして薄く描いても、またテカリを消すための溶剤を混ぜても、やはりあまりしっくりとは来なかった。

 

・・・でも、基本的にあのアトリエに染み付いた絵具の匂いは好きだったし、またいつか手に取る時が来るかもしれない。

 

けれど、もともと透明な絵の具や水の質感が好きなのに加え、ある程度年齢を重ねた今は、だんぜん水彩画のほうが身体感覚に合っているようで気持ちいい。そして水彩画の中でも特に、この“シヒテン”の技法に魅力を感じているというわけだ。


 

 

 

ただし、実はこれまで“青い花”で“シヒテン”を描いた中で、一つとして作品として完成したためしがないということも事実なのだ。

(教室ではなく自宅で製作した際には、いくつかの作品を仕上げたこともあるのだが・・・)

 

先にも書いたように、私にとっての“青い花”における“シヒテン”とは、あくまでプロセスそのものが重要なのである。だからそれを作品に仕上げようとしたとたんに、私の中で異なる意識が働きだし、描き続けることに魅力を感じなくなるようだ。

 

実際、井手先生のここ数年の“シヒテン”の指導は、まさに「いかにプロセスを体験させるか?」・・・というところに焦点を絞られていることを実感するのだ。 最初の頃の描き方は、明らかに今とはちがっていたと記憶する。

 

ちなみに「ここ数年」とは、あのヴェレダ・2002年カレンダーの絵(植物のメタモルフォーゼ)を描かれた人智学系の画家 アレキサンダー・ビンター先生をRaumにお迎えして“シヒテン”の集中講座を指導していただいた、あの感動の5日間から現在までを指す。  

 

 

素晴らしいビンター先生の講座。その思い出はあまりにも大きいので、また別の機会に書くとして、そろそろ教室のreportに入ろう・・・)   

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の“青い花”はTさんの質問からスタートした。いつも講座の最初に唱えるシュタイナーの言葉の中の「Geist」という単語について。井手先生はその単語を「霊」とは訳さず「精神」と訳し、さらに詩として唱えるときには「光」とされている。彼女はその理由について知りたかったのだ。

 

たしかに翻訳は難しい・・・異なる言語に変換する際に、原文の表す繊細なニュアンスまでを表現するなど不可能に近いことだと思う。先生はそのような翻訳の限界を踏まえながら、Geist、Lei、Seishin と、ローマ字で書いてみて、それぞれの語のもつ雰囲気を説明された。・・・なるほど、表意文字である日本語を表音文字に置き換えるわけか・・・この場合、その方が解りやすいかも。

 

Tさんのこの質問をきっかけに、井手先生から宿題が出された。「問いが生まれるということがとても大事です。それは新たな世界がそこに見えてくる兆しでもあるからです。今後、この教室に参加する際には一人一人が、何でもいいから『問い』を持ってくるということにしましょう。」

 

「ああ、それはいいですね! 」ということで、ついでに、その問いについて自分なりの答えも考えて来ようということになった。


 

 

 

 

  

 

さて、では“シヒテン”開始・・・と思いきや、今度は戸外に出て木々の紅葉を観察するように促される。Raumのすぐ側にある室見団地には桜並木があり、その桜の木の葉が赤や黄色に美しく色づいていたのだ。

 

(・・・桜の木ってこんなに紅葉したっけ ? )木によってはほとんど赤く染まったものもあれば、緑から紫に~という不思議な変化を見せているものもある。しかしどれもが驚くほどに多彩な色だ。

 

そこで、葉っぱの色が最も輝くシチュエーションと、その現象についてのサゼッションを受ける。

 

実は、このことはゲーテ的自然科学の“らせん教室”で再三とりあげられたことなので既に私は知っていた。だが、体験はその度毎に新しい感動を与えてくれる。光を透かした赤い葉っぱの、これほど美しい輝きは、初めて見たものだった。

  

 

  

 

このような観察が、今から描こうとする“シヒテン”に何の関係があるのかな?・・・と、疑問に思う向きもあるかもしれないが、体験というものは確実に意識を変える。

 

一枚の赤く色づいた葉っぱをつぶさに眺め、触る。そしてそれらの葉っぱを携える木々と、木々をとりまく空間の色と明るさと、そこに降り注ぐ秋の光を感じる。その光に透かされた葉っぱの燃えるような赤は、「色が輝くってどういうことなのか?」・・・そのことを確実に教えてくれる。


 

 

今回の私の“シヒテン”は、とても薄い絵の具でいつもよりさらにゆっくりと描いているが、青の流れがある程度世界を満たしたので、もう次の色を入れはじめた。それは黄色で、ゴールデンイエローかレモンイエローにするか迷ったが、先生のアドバイスどおりレモンイエローにした。

 

画面に今までなかった色を参入させるときはいつも勇気が要る。でも、そこからまた新しい世界が始まる喜びがあり、創造のダイナミズムを体験することができる。

 

ビンター先生の言葉を思い出す。「・・・紙の上に一つの色(絵の具)を足す度に、新たな一つの世界が生まれる。その世界を完成させ、そしてまた新たな世界を創造する。画家はそのような行為を繰り返しているわけだが、それはまるでいくつもの異なる人生を体験するようなものなんだよ。素晴らしいと思わないかい? 」 

 

 

←左写真は黄色を入れた私の“シヒテン”。3回目は中1回に「猫じゃらしのプラトン立体」をはさんで、来年1月に行う。この間の時間も大切な要素だから、次回会うときはまたちがう様相を見せてくれるにちがいない。 

 

                     2007/11/18 ■report Gaon